我輩はギャンブラーである

ギャンブル共存症。

ブログを書く行為は、ある意味で治療になり得る

実は、書きかけの記事がいくつもある。自分がなぜ苦しくなったのかを書こうとしているが、最後まで書くことはできていない。書いている途中で嫌な気分になるからだ。

辛かった出来事はとうに昔のことなのに、いまだに思い出すと苦しくなって辞めてしまう。いつか小出しにでも書ければと思っている。

 

さて、タイトルにも書いたけど「ブログを書く行為は、ある意味で治療になり得る」ということ。

 

うつがひどい時期は文字を読むことができない。ひとつひとつの文字は読めても、それがどう言った意味を持つのかを理解することができない。それゆえどういう文字で感情を表現すればよいのかもわからない。一番どん底の時期には支離滅裂な言動で生活していたかもしれない。

今はどうにか自分の中で「文字」を取り戻しつつある。取り戻したことを思い出すためにもブログを書く。

 

文字を失ってた時期、ギャンブルで感情を発散していた。大袈裟かもしれないけれど、ギャンブルがなかったら今頃あの世でした。生きててよかった。ギャンブルよ、今宵もありがとう。

ギャンブルは私にとって、今までこれからも精神治療に必要なもの。そしてこれからは文字を書くことも治療になるでしょう。