我輩はギャンブラーである

ギャンブル共存症。

だから、ギャンブル辞めないってば

私はギャンブルを一生辞めません。ギャンブルを辞めるのは心臓が息の根を止めるときでしょう。

私が思うギャンブルの定義っていうのは世間一般で言われるギャンブルの定義とは異なるけれど、

 

「自分以外の誰かにある一定の期待を持ち、その期待通りに相手が行動してくれること」 

 

だと思っている。だから、そこにお金はなくても夢中なれるし、楽しいと心から思える。でもそこにお金があると楽しさは圧倒的に増すのだけどね。

お金が伴いすぎて破滅する人がいるのだけど、自分に関してはお金を賭けないギャンブルから始めたので距離感はわかっています。たぶん。

まず、私のギャンブルの始まりってのは中学生のとき持っていたパソコンにプリインストールされていたカジノゲームなんだけど、バカラとかテキサスホールデム式のポーカーとかね。あとはブラックジャック。海外に行ったことないから実際にはやったことないけれど…。

このときにお金をかけずに何かに期待を持つのが楽しいってことを叩き込んだし、大人になって公営ギャンブルをはじめて、期待するものがプログラミングされたゲームじゃなくて、生きた人間に変わっただけでだいぶテンションがあがったのも覚えている。

話が脱線したので元に戻すけど、お金をかけなくてもギャンブル楽しいのです。人生は思ったようにいきませんが、思った通りの着順にきまることはあります。トリガミでも自分の思い通りに事がすすんだってのが嬉しかったりします。

でも実際は普通にめっちゃお金賭けているから給料日前にはお金なくなっちゃいますね。はは。

あ、でも今でも健康麻雀とかやっているのでかけなくても楽しんでますよ!

そして、ギャンブルやるからには普通の人より稼がなくてはいけないね。たくさん働かなくてはならないね。

だから労働向いてないけど労働者として、定年まで働きますよ!

私は私自身には期待なんかこれっぽっちもないけれど、誰かに期待している私には期待がもてるから!

だから私はギャンブル辞めないよ!私自身が輝くために。これまでも、これからも。

 

完璧にこなそうとする気持ちを捨てよう

ブログを開設してから早2ヶ月、一つも記事を書けていなかった。正確には下書きで色々書いていたものの、あれもダメ、これもダメ、と思い考えているうちに、長文が一気にツイッターで呟けるくらい少なくなったり、「一万字インタビュー」くらいの文字数になったり。

最初から完璧なものなんてできませんよね。

実は最初のブログのテーマは「私にギャンブルが必要な理由」というテーマで書きたかった。

でもこれは2ヶ月たっても一つの記事では書き上げられなかったので、小分けにしながら書いていこうと思う。

そもそも、ブログは何の目的で書いていくかというと、第一に言葉のリハビリ。あとは感情のアウトプット。

言葉のリハビリ。まず、私は、語彙力と一般常識が足りていない。

これに関しては「そんなことないよ」とか「新聞読みなよ」とも言われそうだけど、数年前、あまりに自分がアホすぎるので、何か問題があるのではないかと思い「ウェクスラー成人知能検査」を受けたところ、言葉を理解し表現する力と語彙と一般常識が年齢に比べて乏しいという結果が出てしまった。うーん、私が勉強してこなかったせいですかね。年相応にいろいろやってきたつもりですが。。。

ちなみにこの検査でIQ77というのも発覚してしまった…。

頭が悪いのをなんとか愛嬌でごまかしているし、いや、ごまかしきれていないのかもしれないし、周りがフォローしてくれているだけかな…もういい大人だからこのままだとダメだってビクビクしている。

次に感情のアウトプット。いろいろ抑圧されて生きてきて、禁欲こそが史上!という洗脳を受けてきたけれど、欲望のままに生きていった方が楽しいなって気がついた。というより、そういう人の方が人生得してるし!

だけれども私の頭の中には我慢や禁欲しなければ天罰が下る、という謎の被害妄想が片隅にあり、そんなものないってわかってるのに頭が天罰で支配されてしまい不安でいっぱいになる。今はもう、そんなものないってわかっているけど、ふとした瞬間に不安に駆られる。だから定期的にアウトプットしないときっとダメなんだと思う。ギャンブルをすることも洗脳を解くための手段だ。

最初は完璧にいいものかけなくても、いつの日か人が面白いと思っているものが書けるようになれればいいなと思う。今日はここまてで。