我輩はギャンブラーである

ギャンブル共存症。

ブログを書く行為は、ある意味で治療になり得る

実は、書きかけの記事がいくつもある。自分がなぜ苦しくなったのかを書こうとしているが、最後まで書くことはできていない。書いている途中で嫌な気分になるからだ。

辛かった出来事はとうに昔のことなのに、いまだに思い出すと苦しくなって辞めてしまう。いつか小出しにでも書ければと思っている。

 

さて、タイトルにも書いたけど「ブログを書く行為は、ある意味で治療になり得る」ということ。

 

うつがひどい時期は文字を読むことができない。ひとつひとつの文字は読めても、それがどう言った意味を持つのかを理解することができない。それゆえどういう文字で感情を表現すればよいのかもわからない。一番どん底の時期には支離滅裂な言動で生活していたかもしれない。

今はどうにか自分の中で「文字」を取り戻しつつある。取り戻したことを思い出すためにもブログを書く。

 

文字を失ってた時期、ギャンブルで感情を発散していた。大袈裟かもしれないけれど、ギャンブルがなかったら今頃あの世でした。生きててよかった。ギャンブルよ、今宵もありがとう。

ギャンブルは私にとって、今までこれからも精神治療に必要なもの。そしてこれからは文字を書くことも治療になるでしょう。

ブログを書いてみる

 

語彙力が乏しいんだけど、文章を書くのは好き。

 

今日からリハビリがてら短い文章でもいいからブログを書いてみようと思う。毎日書けるかはわからないが、週に4,5回を目標としておく。ユニークで素敵な文章を書ける人にはとても憧れる。

 

雨にも負けるし、風に負けるけど

そういうひとに私はなりたい!

 

さて、ブログを書くにも何を書けば、と思ったときに役立つ「お題スロット」

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ささやかな幸せ

 

今日の出来事。昼前にとーってもお腹が空いて世界が白黒に見えたんだけど、カバンの奥底からマッサージ店でもらったチョコレートを見つけて速攻で食べたわ!これは、ささやかな幸せだね😉

 

カバンの奥底って、

・くちゃくちゃになった紙コップ

→競馬場で水か茶を飲んで匂いがつかないからとカバンにポイッ

・ペグシル

→あとで使おうとしてとりあえず持ってて、役に立つときもあるけど、ほとんどが役に立たず捨てることになる

・書き損じのマークシート

→あとで捨てようとして捨てそびれる

 

まるでごみ箱のような私のカバン。

毎回反省するし、嫌な気持ちになるけど、たまには宝(今回はチョコ)もあることもあるよってお話。

今日はここまで!

 

だから、ギャンブル辞めないってば

私はギャンブルを一生辞めません。ギャンブルを辞めるのは心臓が息の根を止めるときでしょう。

私が思うギャンブルの定義っていうのは世間一般で言われるギャンブルの定義とは異なるけれど、

 

「自分以外の誰かにある一定の期待を持ち、その期待通りに相手が行動してくれること」 

 

だと思っている。だから、そこにお金はなくても夢中なれるし、楽しいと心から思える。でもそこにお金があると楽しさは圧倒的に増すのだけどね。

お金が伴いすぎて破滅する人がいるのだけど、自分に関してはお金を賭けないギャンブルから始めたので距離感はわかっています。たぶん。

まず、私のギャンブルの始まりってのは中学生のとき持っていたパソコンにプリインストールされていたカジノゲームなんだけど、バカラとかテキサスホールデム式のポーカーとかね。あとはブラックジャック。海外に行ったことないから実際にはやったことないけれど…。

このときにお金をかけずに何かに期待を持つのが楽しいってことを叩き込んだし、大人になって公営ギャンブルをはじめて、期待するものがプログラミングされたゲームじゃなくて、生きた人間に変わっただけでだいぶテンションがあがったのも覚えている。

話が脱線したので元に戻すけど、お金をかけなくてもギャンブル楽しいのです。人生は思ったようにいきませんが、思った通りの着順にきまることはあります。トリガミでも自分の思い通りに事がすすんだってのが嬉しかったりします。

でも実際は普通にめっちゃお金賭けているから給料日前にはお金なくなっちゃいますね。はは。

あ、でも今でも健康麻雀とかやっているのでかけなくても楽しんでますよ!

そして、ギャンブルやるからには普通の人より稼がなくてはいけないね。たくさん働かなくてはならないね。

だから労働向いてないけど労働者として、定年まで働きますよ!

私は私自身には期待なんかこれっぽっちもないけれど、誰かに期待している私には期待がもてるから!

だから私はギャンブル辞めないよ!私自身が輝くために。これまでも、これからも。

 

完璧にこなそうとする気持ちを捨てよう

ブログを開設してから早2ヶ月、一つも記事を書けていなかった。正確には下書きで色々書いていたものの、あれもダメ、これもダメ、と思い考えているうちに、長文が一気にツイッターで呟けるくらい少なくなったり、「一万字インタビュー」くらいの文字数になったり。

最初から完璧なものなんてできませんよね。

実は最初のブログのテーマは「私にギャンブルが必要な理由」というテーマで書きたかった。

でもこれは2ヶ月たっても一つの記事では書き上げられなかったので、小分けにしながら書いていこうと思う。

そもそも、ブログは何の目的で書いていくかというと、第一に言葉のリハビリ。あとは感情のアウトプット。

言葉のリハビリ。まず、私は、語彙力と一般常識が足りていない。

これに関しては「そんなことないよ」とか「新聞読みなよ」とも言われそうだけど、数年前、あまりに自分がアホすぎるので、何か問題があるのではないかと思い「ウェクスラー成人知能検査」を受けたところ、言葉を理解し表現する力と語彙と一般常識が年齢に比べて乏しいという結果が出てしまった。うーん、私が勉強してこなかったせいですかね。年相応にいろいろやってきたつもりですが。。。

ちなみにこの検査でIQ77というのも発覚してしまった…。

頭が悪いのをなんとか愛嬌でごまかしているし、いや、ごまかしきれていないのかもしれないし、周りがフォローしてくれているだけかな…もういい大人だからこのままだとダメだってビクビクしている。

次に感情のアウトプット。いろいろ抑圧されて生きてきて、禁欲こそが史上!という洗脳を受けてきたけれど、欲望のままに生きていった方が楽しいなって気がついた。というより、そういう人の方が人生得してるし!

だけれども私の頭の中には我慢や禁欲しなければ天罰が下る、という謎の被害妄想が片隅にあり、そんなものないってわかってるのに頭が天罰で支配されてしまい不安でいっぱいになる。今はもう、そんなものないってわかっているけど、ふとした瞬間に不安に駆られる。だから定期的にアウトプットしないときっとダメなんだと思う。ギャンブルをすることも洗脳を解くための手段だ。

最初は完璧にいいものかけなくても、いつの日か人が面白いと思っているものが書けるようになれればいいなと思う。今日はここまてで。